「一緒にいて楽な人」になろうとして、自分が一番しんどくなっていた
気を遣うのが上手い人、と言われたことがある。
場の空気を読んで、誰かが話しづらそうにしていたら話を振る。沈黙が続きそうになったら自分から話題を出す。相手が言ったことには大きめにリアクションして、「分かる、分かる」と相槌を打つ。
飲み会が終わったあと、「今日楽しかったね」と誰かが言ってくれると、ほっとする。
でも家に帰ってドアを閉めた瞬間、どっと息が抜ける。楽しかったはずなのに、疲れている。人と過ごしたあとに残るのが充実感ではなく消耗感だと気づいたのは、いつからだっただろう。
この記事は、誰かといるときの自分と、一人でいるときの自分が別人みたいだと感じている人に読んでほしくて書いています。
「いい人」を演じるコスト
友達といるとき、あなたはどれくらい自分の話をしているだろう。
思い返してみると、聞き役に回っていることのほうが多くないだろうか。相手の仕事の愚痴を聞く。恋愛相談に乗る。「大変だったね」「それはひどいね」と共感する。
聞くのは嫌いじゃない。むしろ得意だと思う。
でも、自分の話になると急にトーンが変わる。
「最近どう?」と聞かれて、「まあ、ぼちぼちかな」と流す。本当は仕事がしんどいとか、将来が不安だとか、言いたいことがないわけじゃない。でも言うと場の空気が重くなる気がする。相手に気を遣わせてしまう気がする。だから自分の話は軽めに切り上げて、「そっちは?」と相手にボールを返す。
これを繰り返すうちに、友人関係の中でのあなたの役割が固定される。
聞く人。受け止める人。場を和ませる人。
誰かの愚痴を聞くのは平気なのに、自分の愚痴は言えない。誰かを励ますのは得意なのに、自分が励まされると居心地が悪い。
それは優しさだと思っていた。でも本当のところは、自分を出して受け入れられなかったときが怖いのだと思う。
聞き役でいれば嫌われない。共感していれば否定されない。「いい人」のポジションにいれば安全だ。でもその安全は、あなたの本音を犠牲にして成り立っている。
本音を隠していると、友達がいるのに孤独になる
不思議な現象がある。
友達はいる。ゼロではない。ご飯にも行くし、LINEもする。傍から見れば普通の友人関係。なのに、心のどこかがずっと寂しい。
この寂しさの正体は、「分かってもらえていない」感覚だ。
でも分かってもらえないのは、相手が鈍いからではない。あなたが出していないからだ。
聞き役に徹して、自分の話は表面だけ。しんどいときも「大丈夫」。本当に考えていることは飲み込む。相手が見ているのは、あなたが見せている「いい人バージョン」のあなただけ。
相手はその「いい人バージョン」と友達をやっている。あなたの本音を知らないのだから、本音に寄り添いようがない。
結果として、友達がいるのに「誰にも分かってもらえない」という感覚が静かに溜まっていく。
厳しいことを言えば、分かってもらえないのではなく、分かってもらう機会を自分で閉じている。
「嫌われたくない」と「好かれたい」は違う
ここで一つ、整理しておきたいことがある。
「嫌われたくない」と「好かれたい」は、似ているようで全然違う。
「嫌われたくない」は、減点を避ける行動だ。余計なことを言わない。波風を立てない。相手の期待を裏切らない。マイナスをゼロに保つことに全力を注ぐ。
「好かれたい」は、自分を出す行動だ。自分の好きなものを話す。面白いと思ったことを共有する。ときには意見が違うことも伝える。ゼロからプラスを作りにいく。
「嫌われたくない」で動いている人の人間関係は、安全だけど薄い。誰とも衝突しないけど、誰とも深くつながらない。
考えてみてほしい。あなたが本当に仲が良いと思える人——もしいるとしたら、その人との関係はどうやってできただろう。
おそらく、どこかの時点で本音を出したはずだ。弱さを見せたか、意見を言ったか、「実は私も」と自分の話をしたか。取り繕った自分ではない部分を見せて、それでも相手が離れなかった。その経験が信頼になった。
つまり、深い関係は**「いい人」を降りたところ**からしか始まらない。
「全員に好かれる」を手放す
「いい人」を降りるのが怖いのは、「降りたら嫌われるんじゃないか」と思うからだ。
ここで、PRIELLEの信条を思い出してほしい。目指すのは「モテ」ではなく「一人に深く愛されること」。
これは恋愛だけの話ではない。友人関係にもそのまま当てはまる。
全員に好かれる必要はない。
10人に当たり障りなく好かれるより、2人に「あなたのそういうところが好き」と思われるほうが、ずっと温かい。
「いい人」を演じているとき、あなたは10人全員の好感度を保とうとしている。だから一人ひとりへの濃度が薄くなる。誰とでもそれなりに話せるけど、誰とも深いところまで行けない。
本音を出すと、合わない人は離れるかもしれない。でも合う人は、むしろ近づいてくる。
「え、あなたもそうだったの?」
「私だけかと思ってた」
「なんか安心した」
本音には、本音を引き出す力がある。あなたが鎧を脱いだとき、相手も「じゃあ私も」と脱ぎ始める。そこから始まる関係は、「いい人同士の交流」とはまったく違う温度を持っている。
自分を出しても大丈夫だった、という体験
ここまでの話を読んで、「理屈は分かるけど怖い」と思ったなら、それが正常だ。
いきなり全員に本音を言う必要はない。
一人だけでいい。この人になら、少しだけ本当のことを言えるかもしれない、と思える人。
その人の前で、一つだけ本音を出してみる。
「実は最近ちょっとしんどくて」
「正直、ちょっと羨ましいなって思うことがある」
「あの映画、みんなは良いって言ってたけど、私はあんまりだったかも」
最後の例みたいに、小さいことからでいい。みんなと意見が違う、ということを一つだけ言ってみる。
そのとき相手がどう反応するかを、見てみてほしい。
おそらく、思っていたほど大変なことは起きない。「へえ、そうなんだ」で済むことがほとんどだ。否定されるかもしれないと思っていた本音が、あっけなく受け止められる。
この**「出しても大丈夫だった」という体験**が、あなたの中に少しずつ積み上がっていく。
一回では変わらない。でも二回、三回と繰り返すうちに、「自分の意見を言っても壊れない関係がある」と分かってくる。その実感が、自己肯定感の材料になる。
自己肯定感は、鏡の前で「自分が好き」と唱えて育つものではない。「自分を出しても大丈夫だった」という経験の積み重ねで、じわじわと育つ。
「いい人」を降りたあとに残るもの
一つだけ、伝えておきたいことがある。
「いい人」を降りるのは、「悪い人」になることではない。
気遣いができるのは、あなたの本物の力だ。場の空気を読めるのも、相手の気持ちに敏感なのも、あなたが長い時間をかけて身につけたものだ。
PRIELLEは、それを捨てろとは言わない。
ただ、その力の使い方を少しだけ変えてほしい。
今まではその力を自分を隠すために使っていた。波風を立てないように。嫌われないように。場に馴染むように。
これからは、その力を自分を出したうえで関係を保つために使ってみてほしい。
本音を言ったあとに、相手の反応を見て「言い過ぎたかな」と思ったらフォローする。意見が違ったときに「でもあなたの考え方も分かるよ」と伝える。弱さを見せたあとに「聞いてくれてありがとう」と添える。
空気を読む力は、本音を飲み込むためではなく、本音を出したあとの着地を柔らかくするために使える。
同じ力を、違う方向に使うだけだ。
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来週、友達とご飯に行く予定があるなら、一つだけ試してみてほしい。
「最近どう?」と聞かれたとき、いつもの「ぼちぼちかな」ではなく、一行だけ、本当のことを言ってみる。
「実は最近、ちょっと仕事のモチベーション下がっててさ」
「なんか最近、週末に予定がないと焦る自分がいてさ」
重い話じゃなくていい。深刻じゃなくていい。ただ、いつもなら飲み込んでいた一行を、一つだけ食卓に出してみる。
それを聞いた友達がどんな顔をするか。たぶん、あなたが思っているより柔らかい顔をしてくれる。
その瞬間、あなたの中で「いい人」の鎧が少しだけ緩む。
緩んだ隙間から、本当のあなたの輪郭が見える。それは「いい人」よりもずっと魅力的で、ずっと一緒にいたい人だ。
「いい人」は誰にでも作れる。でも「あなた」は、あなたにしかなれない。