美容院で「お任せします」と言ってしまう人は、たぶん優しいんじゃない
美容院が苦手だ。
嫌いなわけではない。髪を整えてもらうのは好きだし、終わったあとの気分は悪くない。でも、あの椅子に座って鏡に向かい合う時間が、どうにも居心地が悪い。
いちばん苦手なのは、最初のカウンセリングだ。
「今日はどうしますか?」
この質問に、うまく答えられたことがない。
スマホに保存した参考画像を見せる勇気が出ない。「こんな髪型にしてください」と言って、「あなたの髪質だと難しいですね」と返されるのが怖い。「似合わないですよ」と思われるのが怖い。
だから言ってしまう。
「お任せします」
美容師さんは優しいから、いい感じに仕上げてくれる。でも帰り道、鏡を見て思う。悪くはない。悪くはないけど、これが自分の望んだものかと聞かれると、よく分からない。
この「お任せします」は、信頼して委ねているのではない。自分の希望を伝えることを諦めている。
美容にお金を使うとき、何かに許可を求めていないか
美容院の話をもう少し続けたい。
美容院に行く頻度。あなたはどうやって決めているだろう。
「3ヶ月に一回」という人は多い。でもその3ヶ月は、髪の状態を見て決めた3ヶ月だろうか。それとも「これくらいの頻度が普通だから」「あまり頻繁に行くのはお金がもったいないから」で決めた3ヶ月だろうか。
本当は2ヶ月で気になり始めている。でも2ヶ月で美容院に行くのは「贅沢」な気がする。まだ我慢できる。もう少し伸びてからでいい。
自分にいいものを許可できるかどうか。他人からの好意だけでなく、自分で自分に与えることを受け取れるかどうか。
美容院に行くタイミング、使うシャンプーのグレード、スキンケアにかける時間。これらすべてに、無意識の「許可ライン」が引かれていないだろうか。
「最低限」で止めてしまう人たち
ここで、少し範囲を広げて話をしたい。
自分のケアに対して、「最低限」で止めてしまう傾向がある人がいる。
スキンケアは化粧水だけ。本当は美容液も気になっているけど、「化粧水だけでも十分でしょ」と自分に言い聞かせる。
服は着られればいい。本当はあのブランドのワンピースが気になっているけど、「今の服でまだ着られるし」と買わない。
部屋着はヨレヨレのTシャツ。誰にも見せないから。
ネイルはしない。お金がかかるから。
一つ一つは合理的な判断に見える。無駄遣いをしない、堅実な生活。
でもこれらの判断の根っこにあるのは、本当に「合理性」だろうか。
友達がネイルをしていたら「かわいい」と思う。
雑誌で素敵なスキンケアを見たら「いいな」と思う。
でも自分に対しては「そこまでしなくても」と思う。
この「そこまでしなくても」は、お金の問題ではない場合が多い。
自分にはそこまでする価値がない、という無意識の判定だ。
友達には「もっと自分にお金使いなよ」と言えるのに、自分には「私にはもったいない」と思ってしまう。以前書いた「ありがとう」が言えない構造と同じだ。受け取ることへの抵抗が、他人からだけでなく、自分からの好意に対しても働いている。
「ちゃんとケアしている自分」を見るのが怖い
もう少し深い話をしたい。
美容やセルフケアに本気で取り組むことに抵抗がある人の中には、こんな気持ちが隠れていることがある。
ちゃんとケアして、それでも変わらなかったらどうしよう。
今、最低限のケアしかしていない状態なら、「本気を出せばもっといけるはず」という可能性が残る。でも本気でケアして、いいシャンプーを使って、スキンケアを丁寧にして、美容院で理想の髪型をオーダーして、——それでも自分のことを好きになれなかったら。
その絶望が怖いから、最初から本気を出さない。
これは「やればできる」を温存するための自己防衛だ。本気を出さないことで、「本当の自分の限界」を見なくて済む。
でも裏を返せば、今の最低限のケアは「手を抜いている自分」であって、「本当の自分」ではない。常に仮の姿で生きていることになる。
本当の自分を出すのが怖い。だから仮の自分で過ごす。仮の自分に満足できないけど、本当の自分を出して失望するよりはマシ。
このループにいる人は、実は少なくない。
美容は「変身」ではなく「手入れ」
PRIELLEは美容を「変身の手段」とは考えていない。
美容院に行くのは、別人になるためではない。スキンケアをするのは、完璧な肌を手に入れるためではない。
今の自分を手入れすること。それが美容の本質だと思っている。
庭の花に水をやるのは、花を別の花に変えるためではない。今咲いている花が、もう少し長く、もう少し元気に咲くためだ。
自分に美容液を塗るのは、誰かに褒められるためではない。今の自分の肌を、もう少しだけ心地よい状態にするためだ。美容院で髪を整えるのは、モテるためではない。鏡を見たときに、もう少しだけ気分がよくなるためだ。
「手入れ」は、対象に価値があると思っているからする行為だ。
使い捨ての道具は手入れしない。大事にしたいものだけを手入れする。
あなたが自分を手入れするということは、自分を大事にしたいと思っているということだ。それはとても自然で、まっとうな欲求だ。
「お任せします」の裏にある本当の問題
話を美容院に戻したい。
「お任せします」と言ってしまうのは、美容師さんを信頼しているからではなく、自分の希望を伝えることに抵抗があるからだ。
この抵抗を分解するとこうなる。
「こうしたい」と言う
→ 自分の好みを表明する
→ 好みが否定されるかもしれない
→ 否定されたら恥ずかしい
→ だったら最初から言わないほうがいい。
でも、もう一つのルートもある。
「こうしたい」と言う → 自分の好みを表明する → 美容師さんがそれを踏まえて提案してくれる → 自分の希望と専門家のアドバイスで、より自分に合うスタイルが見つかる。
一つ目のルートでは、「こうしたい」は否定される前提で考えている。
二つ目のルートでは、「こうしたい」は会話の出発点として使われている。
どちらが現実に近いかと言えば、ほとんどの場合は二つ目だ。
美容師さんは希望を聞くのが仕事だ。「こうしたい」と言われて迷惑な美容師はいない。むしろ「お任せ」のほうが困ることが多い。何を目指せばいいか分からないから。
あなたの「こうしたい」は、迷惑ではない。むしろ、二人で良いスタイルを作るための材料だ。
自分に許可を出す練習
PRIELLEの提案は、大きな変化ではない。
次に美容院に行くとき、一つだけやってみてほしい。
「お任せします」の前に、一言だけ自分の希望を言う。
「軽くしたいです」でいい。「前髪はこれくらいにしたいです」でいい。「この写真の雰囲気が好きです」でもいい。
完璧なオーダーでなくていい。的確でなくていい。ただ、「自分はこう思っている」を一つだけ口に出す。
これは美容院の話だけではない。
コンビニでいつもの安いコーヒーではなく、50円高いほうを手に取ってみる。ドラッグストアで気になっていたパックを一枚だけ買ってみる。夜のスキンケアを30秒だけ丁寧にやってみる。
どれも小さい。でも、これらすべてに共通しているのは、自分に対して「いいよ」と許可を出しているということだ。
いつも「そこまでしなくても」で止めていたラインを、ほんの少しだけ超えてみる。
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あなたが自分にかけているお金や時間やケアは、あなたが自分に出している許可の量だ。
「最低限でいい」と思っているなら、それはお金の問題ではなく、自分にそれ以上を許可していないだけかもしれない。
次に美容院に座ったとき。
スマホの保存フォルダに入っている、あの写真。見せなくてもいい。でも、一言だけ。
「こういう感じが好きです」
その一言は、美容師さんへのオーダーであると同時に、自分への許可だ。
「私にはこうなりたいという希望がある」と認めること。それを口にしてもいいと自分に許すこと。
受け取ることは、他人からだけではない。 自分が自分に差し出したものを、ちゃんと受け取ること。