スキンケアを変えたのは、誰かに見せるためじゃなかった
スキンケアを、少し丁寧にするようになった。
化粧水を、ハンドプレスでしっかり入れる。美容液を足す。マッサージするように、顔に手を当てる。以前のように、ただ「ぱしゃぱしゃ塗って終わり」じゃなくなった。
ふと、思った。これ、誰のためにやってるんだろう、と。
恋人がいるわけじゃない。誰かに会う予定があるわけでもない。明日も、特別なことのない、いつもの一日だ。それなのに、私は今、自分の肌を、丁寧にケアしている。
そして、気づいた。誰のためでもない。自分のためだ。
昔は、「きれいにしても、見せる相手がいないし」と思っていた。でも今は、見せる相手がいなくても、自分の肌を丁寧に扱うこと自体が、心地いい。その変化に、自分でも少し驚いた。
「見せる相手がいないから」の落とし穴
「きれいにしても、見せる相手がいないし」。
この言葉を、口にしたことはないだろうか。デートの予定がない週末は、すっぴんで過ごす。誰にも会わない日は、身なりを整えない。きれいでいることを、いつも「誰かに見せるため」のものとして、捉えている。
この発想には、大きな落とし穴がある。自分の美しさの基準を、他人に握らせてしまっているということだ。
見せる相手がいれば、頑張る。いなければ、手を抜く。それはつまり、あなたが自分をケアするかどうかが、他人の有無で決まっているということだ。あなたの「きれい」は、いつも誰かのためにあって、自分のためには、存在していない。
そして、その発想の根っこには、こんな感覚がある。「自分一人のために、きれいでいる価値はない」。見てくれる人がいなければ、努力は無意味。一人の自分は、丁寧にケアするほどの存在じゃない。
でも、本当にそうだろうか。あなたの肌は、あなたが毎日、向き合うものだ。誰よりも、あなた自身が、いちばん長く見ている。その肌を丁寧に扱うことは、誰かのためじゃなく、まず自分のための行為のはずだ。
自分のためにきれいでいる、という自立
誰に見せるでもなく、自分の肌を丁寧にケアできるようになったとき、あなたの中で、何かが変わっている。
それは、美しさの基準が、他人から自分に移ったということだ。
見せる相手がいるかどうかは、もう関係ない。自分が、自分の肌を心地よく保ちたいから、ケアする。鏡を見て「いい感じだな」と思いたいから、整える。その動機は、完全に自分の内側から来ている。他人の目を必要としていない。
これは、ひとつの自立だ。恋愛でも、人間関係でも、「誰かのために」を動力にしていると、その誰かがいなくなった瞬間に、頑張る理由を失う。でも、「自分のために」を動力にできる人は、誰がいてもいなくても、自分を整え続けられる。
そして、面白いことに、自分のためにきれいでいる人のほうが、結果として、いい空気を纏う。「見せるため」の美しさには、どこか緊張や媚びがある。でも「自分のため」の美しさには、穏やかな満足がある。その違いは、表情に、佇まいに、静かに表れる。
誰かに見せるためじゃなく、自分が心地よくいるために、自分を整える。それができるようになったとき、あなたは、誰かに依存しない美しさを、手に入れている。
✦ ✦ ✦
今度、誰にも会わない休日があったら。
「どうせ誰も見ないし」と、すべてを後回しにする前に、一つだけ、試してみてほしい。
誰のためでもなく、自分のために、肌を丁寧にケアしてみる。
時間をかけて化粧水を入れる。好きな香りのクリームを塗る。鏡の中の自分に、「今日もおつかれさま」と、心の中で声をかける。
見せる相手はいない。それでいい。むしろ、見せる相手がいないからこそ、それは純粋に「自分のため」の行為になる。
その時間を「心地いいな」と思えたら、あなたの美しさは、もう他人のものじゃない。自分のものになっている。誰かのためじゃなく、自分のためにきれいでいられる人は、いちばん強くて、いちばん自由だ。
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