「きれいになったね」の「きれい」を考えてみた
久しぶりに会った友達に、「なんか、きれいになったね」と言われた。
咄嗟に「え、そんなことないよ」と返してしまったけれど、家に帰ってから、その言葉が妙に引っかかった。だって、心当たりがまるでない。特別ダイエットに成功したわけでもない。化粧も、いつものキャンメイクのアイシャドウのままだ。美容院にも、しばらく行っていない。服だってGUとユニクロ。何ひとつ、「きれいになる」ための行動をした覚えがなかった。
それなのに、相手は確かに「きれいになった」と言った。お世辞にしては、言い方が自然すぎた。
じゃあ、あの人は、私の何を見て「きれい」と言ったのだろう。この問いを、少し真面目に考えてみたい。
「きれい」という言葉が指しているもの
私たちは「きれい」という言葉を、あまりに雑に使いすぎている。
肌がきれい。スタイルがいい。メイクが上手い。「きれい」と聞くと、まずこういう外見の完成度を思い浮かべる。だからこそ、外見に変化がないのに「きれいになった」と言われると、混乱する。採点表のどの項目も上がっていないのに、なぜ総合点が上がったことになっているのか、と。
でも、思い出してほしい。あなた自身が誰かに「きれいだな」と感じたとき、それは本当に、その人の肌や体型を採点した結果だっただろうか。
たぶん、違う。何気ない所作だったり、話しているときの表情だったり、その場でのふるまい方だったり。「きれい」と口にするとき、人はしばしば、顔ではなく、その人が纏っている空気のことを言っている。ただ、それを言葉にする語彙がないから、いちばん手近な「きれい」に押し込めているだけだ。
つまり、あなたの友達は、あなたの顔の採点結果を伝えたのではない。あなたのまわりに漂う何かが、以前と変わったのを感じ取って、それをとりあえず「きれい」と呼んだ。そういうことなのだと思う。
思い返してみてほしい。空気の変化に気づいた人の言葉は、たいてい、どこか曖昧だ。「なんか、きれいになった」「雰囲気、変わったね」「うまく言えないけど、いい感じ」。「なんか」「うまく言えないけど」——この、歯切れの悪さこそが、証拠だ。相手は、明確な変化(痩せた、髪を切った)を指しているわけではない。だから、はっきり言えない。指させる場所がないのに、確かに何かが変わったと感じている。その感覚を、なんとか言葉にしようとして、曖昧なまま差し出している。
もし相手が、あなたの外見の一点を指して「痩せたね」「その髪、いいね」と言ったなら、それは採点表の話だ。でも、「なんか」がつくとき、相手が見ているのは、採点表の外にあるもの——あなたの纏う空気の、ほうなのだ。
変わったのは、自分への態度だった
では、その「何か」とは何か。
ここ最近のあなたを、少しだけ振り返ってみてほしい。以前より、自分を責める回数が減っていないだろうか。鏡を見て「悪くないな」と思える朝が、たまにあったりしないだろうか。「何でもいいよ」の代わりに、小さくても「これがいい」と選べた瞬間が、増えていないだろうか。
もしそうなら、変わったのは顔ではない。自分に対する態度が変わったのだ。そしてその態度は、あなたが思っている以上に、外側に滲み出る。
自分を責めている人は、どこか身を縮めている。視線が下がり、肩が内に入り、表情に緊張が走る。逆に、自分を少しでも認められている人は、姿勢がまっすぐで、表情がやわらかい。声のトーンまで違う。これは意識してやっていることではない。内側の態度が、勝手に身体に表れているだけだ。
久しぶりに会った友達は、その差分に気づいた。前に会ったときより、あなたの纏う空気がほどけていた。緊張が減り、余裕が出ていた。その変化を、言葉にするなら「きれいになった」がいちばん近かった。だから、そう言った。あなたが何もしていないのに「きれいになった」のは、当然のことだったのだ。
これを「モテる方法」にしないために
ここで、少し立ち止まってほしい。
この話を読んで、「じゃあ、そういう空気を纏えば、褒められるんだ」と思ったなら、それは一歩、道を外れかけている。褒められることをゴールにした瞬間、あなたはまた、他人の採点表を握りしめることになる。「きれいと言われるために、機嫌よくしていよう」——それは、新しい足し算だ。PRIELLEが、いちばん遠ざけたいものだ。
大事なのは、順番だ。あなたが自分を認めた。その結果として、空気が変わった。その空気に、たまたま誰かが気づいて、言葉にした。褒め言葉は、目指したゴールではなく、あとからついてきた副産物にすぎない。
だから、「きれいになったね」を集めにいく必要はない。言われても言われなくても、あなたの空気が変わったという事実は、何も揺らがない。誰にも気づかれない日があっても、それはあなたの変化がなかったことにはならない。褒め言葉は、確認のためのオマケであって、変化の本体ではない。
主語は、いつも自分だ。あなたがきれいになったかどうかを決めるのは、友達の一言ではなく、あなた自身が自分をどう扱っているか、そのほうだ。
自分の変化には、自分がいちばん気づけない
ここで、少し不思議なことに触れておきたい。なぜ、あなた自身は、自分の変化に気づいていなかったのか、ということだ。
理由は、シンプルだ。あなたは、自分の「連続した毎日」の内側にいる。昨日の自分と、今日の自分。その差は、あまりに小さくて、自分では見えない。毎朝、鏡で見ているからこそ、じわじわとした変化には、かえって鈍くなる。自分を責める回数が、半年前より減っていること。表情が、少しやわらかくなっていること。そういう変化は、内側にいる本人には、ほとんど感知できない。
でも、久しぶりに会った友達は、違う。半年前の「あなた」と、今日の「あなた」を、いきなり並べて見ることになる。だから、あいだの変化が、くっきりと見える。あなたにとっては連続した日常でも、相手にとっては、ビフォーとアフターなのだ。だから、あなたが自覚していない変化を、相手が先に見つける。これは、ごく自然なことだ。
だからこそ、「きれいになったね」という言葉に、戸惑わなくていい。心当たりがないのは、あなたが鈍いからでも、相手がお世辞を言っているからでもない。あなたの変化が、あなた自身の視界の死角で、静かに進んでいたというだけのことだ。
そして、こうも言える。もし誰にも「変わったね」と言われなくても、あなたの中で起きている変化は、確かに進行している。ただ、それに気づくタイミングの相手に、まだ出会っていないだけ。変化の本体は、いつだって、他人の言葉より先に、あなたの内側にある。
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もし今度、誰かに「きれいになったね」「雰囲気変わったね」と言われたら。
いつものように「そんなことないよ」と、反射で打ち消さないでほしい。その否定は、謙虚さのように見えて、相手が差し出してくれた言葉を、玄関先で突き返す行為だ。せっかく届いたものを、受け取る前に押し戻してしまっている。
代わりに、「ありがとう」と言ってみる。それだけでいい。うまく笑えなくても、照れくさくても、まず受け取る。そのうえで、心の中でそっと考えてみてほしい。この人は、私の何を見て、そう言ったんだろう、と。
その答えは、たぶん顔にはない。あなたが最近、自分をほんの少し大切に扱いはじめた——その気配を、この人は先に見つけてくれたのだ。
あなたが自分に向けている態度は、あなたが思うより、ずっと外まで届いている。今日のあなたの空気は、まわりから、どんなふうに見えているだろう。
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