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マインドセット STEP1

「私って何もないな」と思った夜に読んでほしい話

金曜日の夜、仕事を終えてコンビニに寄って、家に帰る。 靴を脱いで、コートをハンガーにかけて、買ってきたお弁当のフィルムを剥がす。 テレビをつける。スマホを開く。 インスタのストーリーには、同期が旦那さんと行ったレストランの写真。大学の友達は子どもの動画を上げている。フォローしているインフルエンサーは、転職して年収が上がったと笑っている。 別に、羨ましいとも思わない。嫉妬しているわけでもない。 ただ、画面を閉じたあとに、部屋の静けさが少しだけ広くなる。 ——私って、何もないな。 その言葉が浮かんだとき、あなたはたぶん泣いたりしない。深刻に落ち込むわけでもない。ただ、お弁当のゴミを捨ててお風呂を沸かして、いつも通りに寝る。 この記事は、そういう夜を知っている人に読んでほしくて書いています。


「何もない」の正体 「私って何もないな」と思うとき、本当に何もないわけじゃない。

あなたはたぶん、それを分かっている。 仕事はしている。毎朝ちゃんと起きて、化粧をして、電車に乗って会社に行っている。大きなミスをするわけでもなく、誰かに迷惑をかけているわけでもない。友達だってゼロじゃない。美容院にも行くし、部屋だってそこそこ片付いている。 何もないわけじゃない。でも、「これが私です」と差し出せるものがない。 たとえば合コンで「趣味は?」と聞かれたときの、あの一瞬の詰まり。 たとえば久しぶりに会った友達に「最近どう?」と聞かれて、「まあ、変わらないよ」としか言えないあの感じ。 一つ一つは小さい。太ももがもう少し細ければ。もう少し仕事ができれば。もう少しかわいい人間なら。どれも「そこまで深刻じゃない」から誰にも相談できない。でも全部を合わせたときに、「結局、私には何もない」という結論だけが静かに残る。 この感覚のいちばん厄介なところは、「深刻に見えない」ことだと思う。 泣くほどじゃない。病むほどじゃない。でもずっとうっすら重い。 もしあなたが今まさにこの重さの中にいるなら、一つだけ伝えたいことがある。あなたが「何もない」と呼んでいるもの、それは本当に「何もない」なのだろうか。


あなたは「何もない」のではなく、「数えていない」だけ

少しだけ想像してみてほしい。 朝、アラームが鳴る。起きたくない。でも起きる。 洗面所に行って、顔を洗う。コンタクトレンズを入れる。化粧をする。下地を塗って、ファンデーションを重ねて、眉を描いて、マスカラを塗る。 服を選ぶ。天気を見て、気温を確認して、今日の予定を思い浮かべて、一着を決める。 駅まで歩いて、電車に乗って、会社に行く。 この一連の行動を「当たり前」と呼ぶのは簡単だ。みんなやっていることだから。でも、みんながやっていることを、あなたも毎日やっている。それは事実として、そこにある。 PRIELLEは「あなたにも良いところがあるよ」とは言わない。 その言葉はたぶん、もう何度も聞いてきたと思うから。言われるたびに「そうかな」と思って、翌朝にはまた同じ気持ちに戻る。あの言葉は一時的な痛み止めであって、痛みの原因には届いていない。 だから違う話をする。 あなたが毎日やっていることを、あなたは「何もない」の中に入れている。 朝起きること。仕事に行くこと。化粧をすること。部屋をそこそこ綺麗に保つこと。季節が変われば衣替えをすること。美容院の予約を入れること。体調が悪くても最低限の家事を回すこと。 これを「努力」とは呼ばないかもしれない。「実績」にもならない。合コンの自己紹介では使えない。でも、あなたが選んで、続けていることだ。誰に強制されたわけでもなく、あなたがそうすると決めて、毎日そうしている。 「何もない」のではなくて、「数えていない」だけ。 数えていないのは、あなたがそれを**「当たり前のこと」に分類している**からだ。当たり前のことは、棚卸しの対象にならない。だから自分の中に「何がある?」と問いかけたとき、棚には何も載っていないように見える。 思い返してみてほしい。体調が悪い日も、なんとか最低限の仕事を片付けて帰った日があったはずだ。本当は行きたくなかった飲み会で、それでもちゃんと笑って場をやり過ごした夜もあったはずだ。誰にも「偉いね」と言われなかったけど、あなたはそれをやった。 それを「誰だってやっている」と言ってしまえば、それまでだ。でも「誰だってやっている」ことを、あなたも途切れさせずに続けている。その事実を、あなただけが無視している。 棚の上には何も載っていないように見えるかもしれない。でも棚の下を見てほしい。床に、無造作に積まれている。毎日あなたが選んで続けてきたものが。


自己受容は「自分を好きになること」じゃない

ここで、一つだけ誤解を解かせてほしい。 「自分を受け入れましょう」という言葉を聞くと、なんだか「自分を好きになりましょう」と言われている気がしないだろうか。ポジティブに考えよう。自分の良いところを見つけよう。鏡の前で「私は私が好き」と言おう。 正直に言う。PRIELLEは、そういうことを言うメディアではない。 自己受容というのは「自分を好きになること」ではなくて、今の自分が「これ」であると認めることだ。 太ももが少し太い。年収は飛び抜けて高くない。休日の過ごし方は地味。それを「ダメだ」と否定するのでもなく、「それでも最高!」と無理に肯定するのでもなく、「今の私はこうだ」と、ただ置いておく。 良いとも悪いとも言わなくていい。ジャッジを手放す。 これが、自己受容の出発点になる。 「何もない」と思うとき、あなたは自分をジャッジしている。「世の中の平均」や「同世代のあの子」というものさしを持ってきて、自分を測って、足りないと判定している。そのものさしは、あなたが自分で選んだものですらないかもしれない。SNSが見せてきたもの。テレビが映してきたもの。誰かがなんとなく言った「30歳までには」という言葉。 そのものさしを、今すぐ捨てなくてもいい。急に手放せるものじゃない。 ただ、「あ、今、私は誰かのものさしで自分を測っていたな」と気づくこと。それだけで十分だ。 自分を好きにならなくていい。今の自分に点数をつけなくていい。「今の私はこうだ」と認めること。良いとか悪いとかの前に、まず「ある」ということを見ること。自己受容は、そこから始まる。


今夜やってみてほしい、一つだけのこと

ここまで読んでくれたあなたに、一つだけ提案がある。 今夜、お風呂に入る前でも、ベッドに入ったあとでもいい。 今日一日を振り返って、自分がやったことを三つだけ思い浮かべてみてほしい。 大きなことじゃなくていい。むしろ小さいほうがいい。

「今日、ちゃんと起きた」

「昼休みにコンビニで、少し迷って、食べたいほうを選んだ」

「帰りに食器を洗ってから寝た」

それを「すごい」と思う必要はない。「よくやった」と褒めなくてもいい。 ただ、「今日、私はこれをした」と、心の中で確認するだけ。 それは棚卸しの練習だ。 あなたが「何もない」と呼んでいたものの中から、一つずつ取り出して、ちゃんと目で見る練習。 ノートに書いてもいいし、書かなくてもいい。声に出す必要もない。お風呂の中で、湯船に浸かりながら、頭の中で思い浮かべるだけでいい。大事なのは**「すごいことを見つけよう」としないこと。ただ「今日、私がしたこと」を確認するだけ**。それ以上の意味をつけなくていい。 劇的な変化は起きない。明日も「私って何もないな」と思う夜が来るかもしれない。でも、その夜が来たとき、今までより少しだけ「本当にそうかな」と思えたら。 それだけで、十分だと思う。 あなたが「何もない」と呼んでいるものは、あなたが毎日、誰に言われるでもなく、自分で選んで続けてきたものの集まりだ。それに名前がついていないだけで、そこに確かにある。 今はまだ、それを「いい」と思えなくてもいい。「ある」と気づくことから、始めてみてほしい。

PRIELLE編集部

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「あなたの価値は、あなたが決める。」をコンセプトに、 自己価値を高めたい女性のための情報をお届けしています。

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