自分のために3000円を使えない人が、誰かのためには平気で5000円使う話
友達の誕生日プレゼントを選んでいるとき、あなたは迷わない。
予算は3000円から5000円くらい。相手の好みを考えて、ハンドクリームとか、ちょっといいお菓子の詰め合わせとか。「あ、これ好きそう」と思ったものをさっと選んで、ラッピングしてもらう。5000円超えても「まあ、誕生日だし」と思える。
なのに。
自分のことになると急に財布の紐が硬くなる。
ドラッグストアで、気になっていたスキンケアを手に取る。裏を見る。3200円。棚に戻す。「今使ってるやつがまだ残ってるし」。本当はもう底が見えているのに。
カフェで新作のドリンクが気になる。680円。「高いな」と思って、いつものブレンドコーヒーを頼む。420円。
別に払えない金額ではない。手取り22万。生活はできている。3200円のスキンケアを買ったところで、来月の家賃が払えなくなるわけではない。
でも、自分のためにそのお金を使うことに、なぜかブレーキがかかる。
この記事は、「自分にお金をかける」ことにどこか後ろめたさを感じている人に向けて書いています。
「贅沢」の基準がおかしい
まず、一つ確認させてほしい。
あなたが「贅沢」だと感じているものは、本当に贅沢だろうか。
3200円のスキンケア。680円のカフェラテ。1800円のランチ。2500円の文庫本。5000円のネイル。
これらを「贅沢」に分類している人と、「普通」に分類している人がいる。収入が同じでも。
違いはどこにあるか。自分にそれを使う「資格」があると思っているかどうかだ。
友達のプレゼントに5000円使えるのは、「友達を喜ばせること」に資格を感じているからだ。人のためにお金を使うのは「良いこと」だと無条件に思えるから、財布が開く。
でも自分のためとなると、途端に
「本当にこれ必要?」
「もっと安いので十分じゃない?」
「今月はやめておこう」
という検閲が入る。
この検閲の正体は、節約意識ではない。
「私はこの金額を自分に使うほどの人間ではない」という、静かな自己評価だ。
友達には5000円の価値がある。
でも自分には3200円の価値すら怪しい。だからブレーキがかかる。
「もったいない」の裏側
自分への出費をためらうとき、口から出てくるのは「もったいない」だ。
「3200円のスキンケアはもったいない。1500円ので十分」
「カフェで680円はもったいない。コンビニの100円コーヒーでいい」
「ネイルに5000円はもったいない。自分で塗ればタダ」
この「もったいない」は、一見するとまっとうな金銭感覚に見える。堅実。節約上手。無駄遣いしない賢い大人。
でも同じ人が、友達との飲み会には4000円を出し、会社の後輩のお祝いには3000円を包み、お世話になった人にはお礼の品を贈っている。
他人のためには「もったいない」と思わないのに、自分のためだけ「もったいない」が発動する。
これは金銭感覚の問題ではない。お金を使う相手が「自分」であることの問題だ。
もっと言えば、「もったいない」は「贅沢」とセットで出てくる。「自分にこの金額は贅沢だ。だからもったいない」。ここでも「自分にはそこまでの価値がない」が根っこにいる。
一番安いものを選ぶのが癖になっている
ドラッグストアの棚の前。シャンプーが並んでいる。
298円。598円。980円。1400円。
手が伸びるのは、いつも598円。一番安い298円は「さすがにちょっと」と思う。でも980円には手が出ない。「598円ので十分」。
この「十分」という判断は、品質を吟味した結果だろうか。
おそらく違う。最初から選択肢を狭めている。1400円は見もしない。980円も「高い」で即却下。298円と598円の二択にして、「安いほうじゃないんだから」と自分を納得させる。
これは選んでいるのではなく、自分の価値に見合う価格帯を無意識に設定している。
「私にはこのくらいのものがちょうどいい」
この「ちょうどいい」は、本当にちょうどいいのだろうか。それとも、「これ以上のものを自分に使うのは分不相応だ」という感覚が決めた上限だろうか。
試しに、次に何かを買うとき、一番安いものを選びそうになった瞬間に自分に聞いてみてほしい。「これが本当に欲しいものか。それとも、自分に許可できる上限がこれなのか」。
「ご褒美」という言い訳が必要な時点で
もう一つ、よくある話をしたい。
自分に少しだけ高いものを買うとき、あなたはどんな理由をつけるだろう。
「今月がんばったから、自分へのご褒美」 「誕生日だし、一年に一回くらい」 「ボーナス出たし、たまにはいいよね」
「ご褒美」。この言葉を使っている時点で、あなたは自分への出費に正当な理由が必要だと思っている。
何かを達成したから。特別な日だから。臨時収入があったから。——条件がそろって初めて、自分にお金を使う「許可」が下りる。
逆に言えば、条件がないときは許可が下りない。普通の火曜日に、特に理由もなく、ただ「欲しいから」で自分に何かを買うことが、できない。
友達にプレゼントを買うとき、「今月彼女ががんばったから、ご褒美として買ってあげよう」とは思わないはずだ。ただ「誕生日だから」「喜ぶ顔が見たいから」で買う。相手に条件を求めない。
なのに自分には条件を求める。「がんばったこと」「特別な日であること」「余裕があること」。条件を満たさないと、自分のためにお金を使ってはいけない。
この非対称さに気づいてほしい。
あなたは他人に対しては無条件に寛大で、自分に対してだけ厳しい審査員をやっている。
「自分に使うお金」は浪費ではない
ここでPRIELLEの立場を明確にしておきたい。
PRIELLEは「たくさんお金を使いましょう」とは言わない。手取り22万は22万だ。使える範囲は限られている。それは事実。
でも、その限られた範囲の中で、自分へのお金の配分が異常に低くなっていないかを見てほしい。
飲み会には行く。後輩にはおごる。友達へのプレゼントは買う。会社のお菓子は差し入れる。——他人に向けた出費は「必要経費」としてすんなり計上されるのに、自分のスキンケアは「贅沢」に分類される。
この分類を、一度見直してみてほしい。
3200円のスキンケアを使って、朝の洗面台の前で少しだけ気分が上がるなら。680円のカフェラテを飲みながらぼんやりする時間に、心がゆるむなら。
それは浪費ではない。自分の機嫌を自分で整えるためのコストだ。
自分の機嫌を自分で整えられるということは、他人に機嫌を取ってもらわなくていいということだ。つまり長い目で見れば、自分への投資は周りの人への負荷を減らしてもいる。
無理をして高いものを買う必要はない。身の丈を超えた出費をすすめているわけではない。
ただ、「自分のため」という理由だけで発動するブレーキを、少しだけ緩めてほしい。
安いもので「済ませている」自分に気づく
一つだけ、やってみてほしいことがある。
今週、何かを買うときに、自分の心の中で起きていることを観察してみてほしい。
スーパーで。ドラッグストアで。コンビニで。カフェで。
何かを選ぶ瞬間、「本当はこっちが気になっているけど、安いほうにしておこう」という判断が起きていないか。
起きていたら、それに気づくだけでいい。
「あ、今、安いほうにした。本当はこっちが気になってたのに」
買い替えなくていい。気になっていたほうを買う必要もない。ただ「気づく」だけでいい。
なぜならこの「気づき」は、あなたが自分にどういう態度を取っているかを映す鏡だからだ。
安いほうで「済ませている」とき、あなたは自分を「済ませていい対象」として扱っている。その態度は、コスメの選び方だけでなく、時間の使い方、人間関係の築き方、恋愛での自分の出し方にまで、静かに影響している。
自分を後回しにするのが当たり前になっている人は、あらゆる場面で自分を後回しにする。それは性格ではなく、習慣だ。習慣は、気づくところから変わり始める。
「私に使っていい」と思えるようになるまで
一足飛びに「自分にお金を使える人」にはなれない。
だから、本当に小さなところから始めてほしい。
次にコンビニに行ったとき。いつもの100円コーヒーではなく、150円のカフェラテを選んでみる。
50円の差だ。生活には何の影響もない。
でもその50円を「自分のために」使ったとき、小さな抵抗感が生まれるかもしれない。「別に100円ので良かったのに」という声が聞こえるかもしれない。
それでもカフェラテを選ぶ。一口飲む。
そのとき、ほんの少しでも「あ、おいしいな」と思えたら。その「おいしいな」は、50円で買った自分への許可だ。
それを「贅沢」と呼ばなくていい。「ご褒美」と呼ばなくていい。
ただ、今日の私が飲みたいものを飲んだ。 それだけのこと。
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自分のためにお金を使えるようになることは、自分を甘やかすことではない。
「私は、この金額を自分に使っていい人間だ」と、少しずつ思えるようになること。それは自己肯定感の、とても具体的な練習だ。
3200円のスキンケアを「もったいない」と思わずに買える日が来たとき。680円のカフェラテを「贅沢」ではなく「今日の私の選択」だと思える日が来たとき。
あなたは気づくはずだ。変わったのは財布の中身ではなく、自分に向ける目線だと。
友達には惜しまないその優しさの、ほんの一部でいい。自分にも向けてあげてほしい。
あなたは、あなたにお金を使っていい。 条件なしで。理由なしで。今日が普通の火曜日でも。