「もう少し自分に自信がついてから」と言い続けて、何年経っただろう
気になる人がいた。
職場の飲み会で話が合って、帰り道が同じ方向で、少しだけ二人で歩いた。「また話しましょう」と言ってくれた。社交辞令かもしれないけど、嬉しかった。
翌日から、少しだけその人のことを考えるようになった。お昼の時間が被るとどきっとした。LINEを交換しようかと思った。
でも、その次に来た思考がこれだった。
「今の私じゃ、まだダメだ」
もう少し痩せてから。
もう少し仕事ができるようになってから。
もう少し話が面白くなってから。
もう少し自分に自信が持てるようになってから。
「もう少し」の条件はいくつでも出てくる。一つクリアしても、次の「もう少し」が現れる。結局何もしないまま、その人は異動で別の部署に行ってしまった。
あのとき動いていればどうなっていたか、今でもたまに考える。
でも正直に言えば、同じ場面が来ても、また同じことを考える気がする。「まだ早い」「まだ足りない」「もう少し準備ができてから」。
この記事は、恋愛に限らず、「もう少し自分が整ってから」と言い続けて動けなくなっている人に向けて書いています。
「準備ができてから」の準備は、永遠に終わらない
最初に、つらい事実を一つ書く。
あなたが待っている「準備が整った自分」は、来ない。
なぜなら、自己評価が低い状態で設定した「準備完了ライン」は、自分が近づくと一緒に遠ざかるからだ。
3キロ痩せたら自信がつく、と思って3キロ痩せる。でも痩せた自分を見て、「まだ足が太い」と思う。仕事で成果を出したら自信がつく、と思って成果を出す。でも「あの人はもっとすごい」と思う。
ゴールラインが動いている。走っても走ってもたどり着かない。
これは能力や外見の問題ではない。自分にOKを出す機能が壊れているのだ。
どれだけ条件を満たしても、OKを出す側が「まだダメ」と言い続ける限り、永遠にスタートラインに立てない。
つまり、「もう少し自分が整ってから」は、一見すると前向きな準備に見えて、実は完璧な自分以外を許可しないという自己否定だ。
「今の私では迷惑をかける」という思い込み
「もう少し整ってから」の裏にある感情をもう少し掘ってみたい。
多くの人が、恋愛を先延ばしにする理由をこう説明する。
「今の中途半端な自分で近づいたら、相手に迷惑をかける」
この言葉には優しさがあるように聞こえる。相手のことを考えている。自分の未熟さが相手の負担になることを心配している。
でもこれは、二つの意味で間違っている。
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一つ目。あなたが「迷惑」だと思っているものは、相手にとっては迷惑ではないかもしれない。自信がないこと、完璧ではないこと、不器用なこと。それらは欠点ではなく、ただの人間の特徴だ。あなたの友達が「自信がないから近づかないほうがいい」と言ったら、「そんなことないよ」と言うだろう。それと同じことが、あなたにも当てはまる。
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二つ目。相手が迷惑かどうかを決めるのは相手であって、あなたではない。
あなたが先回りして「きっと迷惑だろう」と判断し、相手に近づかないことを選ぶ。これは相手への配慮のように見えて、実は相手の判断権を奪っている。
「私なんかが話しかけても迷惑だろう」——これは相手を思いやっているのではない。相手が「迷惑じゃないよ」と言う可能性を、あなたが勝手に消している。
相手には、あなたと話して楽しいと思う権利がある。あなたのことを好きになる権利がある。その権利を、あなたの自己評価で先に潰してしまうのは、配慮ではなく、支配だ。
厳しい言い方だけど、この構造に気づくことがとても大事だと思っている。
「ちゃんとした自分」を見せたい欲求の正体
もう一つ、深い話をしたい。
「整った自分で相手に会いたい」という欲求の奥には、こんな前提が隠れている。
素の自分では愛されない。
だから条件を整えなければいけない。痩せて、仕事ができて、話が面白くて、自信があって。そういう「スペック」を揃えた自分でなければ、好かれるはずがない。
自分を受け入れていないから、他人にも受け入れてもらえないと思っている。
自分が自分を好きじゃないから、他人が自分を好きになる理由が想像できない。
でも、ここで思い出してほしい。
あなたが誰かを好きになったとき、相手のスペックをチェックリストで採点しただろうか。
たぶん違う。話しているときの表情が好きだったとか、笑い方がよかったとか、黙っている時間が心地よかったとか。言語化しにくい、でも確かにある「何か」に惹かれたはずだ。
人が人を好きになるとき、相手の完成度を見ているわけではない。
未完成で、不器用で、ときどき自信がなくて。そういう「ちゃんとしていない部分」も含めた全体に、惹かれている。
あなたが隠そうとしている部分は、欠点ではない。あなたの輪郭の一部だ。
完璧な自分で始めた関係は、完璧を演じ続けなければいけない
仮に、あなたが望んだ通りの「完璧な自分」になれたとしよう。自信に満ちて、外見も整って、仕事もできて。その状態で誰かと出会い、付き合い始めたとする。
でも、人間は完璧ではいられない。
調子の悪い日がある。仕事でうまくいかない日がある。肌が荒れる日がある。不安で眠れない夜がある。
そのとき、どうなるだろう。
「完璧な自分」を見せて始めた関係では、完璧でない自分を見せることが怖くなる。弱い部分を出したら、がっかりされるのではないか。「こんな人だと思わなかった」と思われるのではないか。
完璧な自分で始めた関係は、完璧を演じ続ける刑務所になる。
一方で、最初からある程度の不完全さを見せている関係はどうか。
「私、こういうところがあるんだけど」と、早い段階で出しておく。相手はそれを知った上で一緒にいることを選んでいる。だから弱い日があっても、「知ってるよ」で済む。がっかりされる心配がない。
不完全な自分で始めた関係のほうが、長い目で見ると安全だ。
つまり、「ちゃんとしてから」は、実は関係を脆くする選択なのだ。
「60点の私」で会いに行く
PRIELLEはこのシリーズを通じて、ずっと同じことを言ってきた。
100点を目指さなくていい。60点で動いていい。
STEP 1で、100点じゃない自分を受け入れた。
STEP 2で、他人の基準ではなく自分の基準で選ぶことを始めた。
STEP 3で、自己肯定感は上げるものではなく重りを外すものだと知った。
STEP 4で、他人からの好意も自分からの好意も受け取れるようになった。
そしてSTEP 5。
60点の自分で、人に会いに行くこと。
完璧じゃない。自信があるわけでもない。まだ「もう少し」と思う部分はある。それでも、そのまま人の前に出ること。
これが「愛される準備」の最終形だ。
準備が「完了」するのを待つのではない。準備の途中のまま、ドアを開けること。
あなたはすでに「誰かの好き」の射程圏内にいる
最後に、一つだけ伝えておきたいことがある。
あなたが「まだ足りない」と思っている今の自分は、誰かにとってはすでに十分に魅力的だ。
信じられないかもしれない。でもこれは、理屈ではなく事実だ。
あなたにも経験がないだろうか。「なんでこの人があの人を好きなんだろう」と思ったこと。客観的に見ればスペックが高いわけでもないのに、なぜかその人にはパートナーがいる。幸せそうにしている。
好意には論理がない。チェックリストを満たしたから好きになるのではない。何かが引っかかって、気になって、もっと知りたくなる。その「何か」は、あなたが思う自分の魅力とは全然違う場所にあるかもしれない。
あなたが「こんなの大したことない」と思っている特徴が、誰かにとっての「そこが好き」かもしれない。
あなたが隠そうとしている不器用さが、誰かにとっては安心する要素かもしれない。
でも、隠していたら見つけてもらえない。「もう少し整ってから」と言って部屋の中にいたら、出会うべき人に出会えない。
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この記事を読んで、明日すぐに誰かに告白してほしいとは思わない。
でも一つだけ。
次に「もう少し自分に自信がついてから」と思ったとき、自分にこう聞いてみてほしい。
「その『もう少し』は、いつ終わるの?」
答えが出ないなら、それは終わらない「もう少し」だ。終わらない準備を待つことは、動かない理由を作り続けることと同じだ。
完璧じゃなくていい。自信がなくていい。
60点のまま、ドアを開けていい。
愛される準備は、完成するものではない。不完全なまま人の前に立てたとき、それが準備ができた瞬間だ。
あなたはもう、十分にここにいていい人間だ。そして十分に、誰かに好きになってもらっていい人間だ。
それを最後に、自分に言ってあげてほしい。