愛されていると感じるのに許可がいる
彼は優しい。誕生日を覚えていてくれる。疲れたときには「無理しないで」と言ってくれる。休みの日にはこちらの行きたい場所に付き合ってくれる。
客観的に見れば、愛されている。
でも、主観的にはどうしても「愛されている」と言い切れない。心のどこかに、薄いガラスの壁がある。愛は確かにこちらに向かって来ている。でも、壁の手前で止まっている。触れているのに、届いていない。
この壁の名前を、ずっと知りたかった。
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その壁の正体は、「私は愛されるに値するのか」という自己審査だ。
愛されている。でも、愛されて「いい」のか。自分はそれに見合う人間なのか。もっと綺麗で、もっと面白くて、もっと器が大きい人が相応しいのではないか。
——そういう審査が、愛を受け取る前に走ってしまう。
そして審査の結果は、いつも「不合格」だ。
この審査には終わりがない。どれだけ自分を磨いても、どれだけ努力しても、審査基準が自動的に上がっていくからだ。「もっと」「まだ足りない」「私なんかが」
——永遠に合格しない試験を、一人で受け続けている。
問題は能力ではない。この審査そのものが存在していることだ。
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愛に許可がいると感じるのは、どこかで「愛は条件つきだ」と学んでしまったからだ。
いい子にしていたら愛される。迷惑をかけなければ愛される。期待に応えれば愛される。——そういう条件つきの愛の中で育つと、無条件に愛されることが信じられなくなる。
だから、条件を探す。「彼が私を好きなのは、○○だからだ」と理由をつけたがる。理由がある愛は理解できる。でも理由のない愛——ただ「あなただから」という愛は、条件つきの世界で生きてきた人にとって、最も受け取りにくい。
「なぜ私なんかを」と思うのは、謙虚さではない。「理由のない愛」を受信するアンテナが、まだ育っていないだけだ。
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許可を自分に出すのは、簡単ではない。
でも、一つだけ覚えておいてほしいことがある。
愛されるのに、資格は要らない。
成績が良いから愛される。綺麗だから愛される。面白いから愛される。——そういう愛もあるかもしれない。でもそれは、条件に対する評価であって、あなたに対する愛ではない。
本当の愛は、「あなたがあなただから」だ。そこに条件はない。条件がないから、審査もいらない。
次に彼が優しくしてくれたとき、「なぜ」を問わないでみてほしい。理由を探さなくていい。ただ「ありがとう」と受け取る。
その「ありがとう」が、自分に出す小さな許可証になる。
愛されていいと、まだ心から信じられなくてもいい。ただ、愛されていいかもしれないと、思ってみるだけでいい。
その「かもしれない」が、ガラスの壁に最初のヒビを入れてくれる。