体重計と、ちょうどいい距離がとれるようになった
体重計に乗るのが、怖かった。
数字を見るのが怖くて、いつからか乗らなくなった。乗らなければ、現実と向き合わなくて済む。でも、乗らないことで、なんとなくずっと不安が続いていた。「きっと増えてる」という想像のほうが、実際の数字より、ずっと自分を苦しめていた。
かと思えば、ダイエットを頑張っていた時期は、毎朝乗っていた。100グラム単位で一喜一憂して、増えていれば落ち込み、減っていれば安心する。一日の気分が、朝の数字で決まってしまう。それはそれで、しんどかった。
乗らなすぎて不安になるか、乗りすぎて振り回されるか。体重計とのつきあい方は、いつも両極端だった。
最近、ようやく、その真ん中が見つかった気がする。週に一度くらい、なんとなく乗る。数字を見て、「ふーん」と思って、それで終わり。
数字は、あなたを表していない
体重計の数字に、なぜこんなに心が揺れるのだろうか。
それは、いつのまにか、その数字を「自分の価値」と結びつけてしまっているからだ。減れば「いい私」、増えれば「だめな私」。たった一つの数字に、自分の良し悪しを判定させてしまっている。
でも、考えてみてほしい。体重は、その日の水分量でも、食べたものでも、生理周期でも、簡単に1〜2キロ動く。あなたの努力とも、あなたの価値とも、本当はあまり関係なく揺れている。
その揺れに一喜一憂するのは、他人の作った物差しに、自分の気分を預けてしまっている状態だ。「痩せている=いい」という、誰かが決めた基準を、自分の中に取り込んで、それで自分を採点している。
だから、乗りすぎても苦しいし、乗らなさすぎても不安になる。どちらも、数字に自分の価値を握られているという点では、同じことだ。
数字は、あなたの体の、ほんの一面を映すデータでしかない。あなたの魅力でも、価値でも、その日一日の頑張りでもない。
「逃げる」でも「囚われる」でもない、第三の道
体重計と健全につきあうとは、どういうことだろうか。
それは、数字を「情報」として淡々と受け取れる状態だ。週に一度くらい乗って、「ああ、こんなものか」と確認する。増えていても、「最近食べすぎたかな」と振り返るきっかけにする程度。減っていても、舞い上がりすぎない。数字を見ても、自分の価値が揺らがない。
これができるようになるのは、自己受容が進んだ証だ。数字に自分の価値を預けていないから、数字を見ても怖くない。だから、逃げる必要も、囚われる必要もない。ただの情報として、ちょうどいい距離で眺められる。
もし今、体重計に乗るのが怖いなら、無理に乗らなくていい。でも、その「怖い」の正体が、「数字=自分の価値」という思い込みにあることだけは、知っておいてほしい。
逆に、毎朝乗って一喜一憂しているなら、一度、頻度を減らしてみてもいい。数字を見ない日が続いても、世界は何も変わらないことに気づくはずだ。
体重計は、敵でも審判でもない。ただの道具だ。その道具に、あなたの一日の気分を支配させる必要は、どこにもない。
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もし、体重計が怖くて避けているなら。あるいは、毎朝乗って振り回されているなら。
「ちょうどいい距離」を、自分で決めてみる。
たとえば、週に一度。気が向いた朝に、なんとなく乗ってみる。数字が出たら、「ふーん」と心の中でつぶやいて、それで終わりにする。落ち込みそうになったら、思い出してほしい。それはただのデータで、あなたの価値とは関係ないことを。
数字を見ても気分が揺れなくなったら、それはあなたが、自分の価値を自分で決められるようになった、という静かなサインだ。
体重計との距離は、自分との距離でもある。ちょうどいい距離を、あなた自身が決めていい。
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