あの人の「美しさ」は、顔の話じゃなかった
記憶の中の、美しい人たち
少し、思い出す時間を取ってほしい。
電車で席を譲った人。
雨の日に傘を傾けてくれた先輩。
目尻にシワを寄せて笑った人。
カフェで何かに夢中になっていた人。
あるいは、あなただけが知っている誰か。これまでの人生で「美しいな」と感じた瞬間の人たちだ。
並べてみて、気づくことがある。あなたはその人たちの顔を、ほとんど覚えていない。覚えているのは、動きと、声と、空気。美しさの記憶は、なぜかいつも顔の解像度が低い。
これは偶然ではない。あなたが美しさとして記録していたものが、最初から顔ではなかったからだ。
あなたのデータが、あなたの信念と矛盾している
ここに、静かな矛盾がある。
あなたの信念はこうだ。「美しさとは外見のこと。だから目が大きいほうがいい、肌がきれいなほうがいい、痩せているほうがいい」。鏡の前の採点は、全部この信念に基づいて行われている。
一方、あなたの記憶——実際に美しさを感じた瞬間の記録——はこう言っている。「美しさを感じたとき、顔はほとんど見ていなかった。見ていたのは、その人の在り方だった」。
信念とデータが食い違っている。そして科学でも日常でも、信念とデータが食い違ったとき、見直すべきなのは信念のほうだ。あなたの目は、世間に教わった定義よりも、ずっと正確に美しさを検出してきた。検出結果を信じていなかっただけで。
その定義は、どこから来たのか
では「美しさ=顔の完成度」という信念は、どこから来たのか。
あなたが自分で発見したものではない。実体験から導いた結論でもない。あなたの実体験は、むしろ逆を示している。つまりあの信念は、外から持ち込まれたものだ。誰かが作った定義を、いつからか自分の定義として採用していた。
どこの誰が、何のために作った定義なのか。
——その話は、次の記事からじっくりやりたい。
今日のところは、ひとつの事実だけ確認できれば十分だ。
世間の定義とは別に、あなた自身の定義が、あなたの中にすでにある。 記憶という形で、何年も前から保存されている。
その目は、あなたにも向けられる
あなたが美しい人たちを見つけたとき、審査基準は使われなかった。パーツの採点も、体重の確認もしなかった。ただ、在り方を見て、空気を感じて、美しいと思った。
その目は、あなたの目だ。あなたの中に常設されている。そしてその目は、原理的には、鏡の中の人にも向けられる。
今すぐ「自分を美しいと思いましょう」という話ではない。それは無理がある。思えないものは思えない。ただ、順番として、こういうことは言える。採点表を持った目で自分を見続ける限り、美しさは永遠に見つからない。採点表に載っていないものなのだから。あなたが他人に向けてきたあの目に、いつか交代してもらう必要がある。
その交代は、ゆっくりでいい。このシリーズは、そのための時間だ。
✦ ✦ ✦
三つ、書き出してみる
層の締めくくりに、小さな宿題をひとつ置いておきたい。
スマホのメモでいい。あなたが「美しい」と感じた瞬間を、三つ書き出してみてほしい。 一行ずつでいい。誰の、どんな瞬間だったか。
書き終わったら、数えてみる。三つのうち、顔の話はいくつあったか。
たぶん、ゼロだ。そのメモが、あなたがすでに持っている「美しさの定義」の、最初の証拠になる。消さずに取っておいてほしい。このシリーズの最後にもう一度、それを見る日が来る。
RELATED ARTICLES
マインドセット きれいってこういうことだったのか、と腑に落ちた夜
このシリーズの終着点。美しさとは何だったのか。最初に書き出したメモをもう一度開いて、「きれい」の意味が変わったことを確かめる最終話。
READ MORE
マインドセット 十年後の私が、今より美しいと思える理由
年を重ねることが怖かった。でも美しさが纏う空気なら、それは年々育つもの。完成度は下がっても空気は育つ、という時間との和解の話。
READ MORE
マインドセット きれいでいることと、愛されることを、切り離せた日
きれいになりたいのは、結局は愛されるためだった。美しさを愛されるための手段から解放したとき、何が変わるのか。
READ MORE