「何でもいいよ」をやめた日から見えてくる自分の輪郭
「ごはん何食べたい?」 LINEでそう聞かれたとき、あなたはどう返すだろう。 「何でもいいよ〜」「お任せします!」「〇〇くんが好きなところで!」 相手に合わせているつもりだった。気を遣っているつもりだった。好みを押しつけない自分は、むしろ付き合いやすい人間だと思っていた。 でも、ある日ふと気づいた。 「何でもいい」を繰り返しているうちに、本当に何でもよくなっている自分がいた。 何が食べたいか分からない。何が着たいか分からない。休日に何がしたいか分からない。「好きにしていいよ」と言われると、逆に固まる。選択肢を渡されるほうが、困る。 この記事は、「何でもいいよ」が口癖になっている人に向けて書いています。
「何でもいい」は優しさじゃない
最初に、少し厳しいことを言わせてほしい。 「何でもいいよ」は、優しさではない。 もちろん、本当に何でもいい場面はある。今日の昼ごはんが和食でもイタリアンでも、心の底からどっちでもいいなら、それは「何でもいい」で正しい。 でも、私たちが「何でもいいよ」と言うときの多くは、そうじゃない。 本当は少しだけ「パスタがいいな」と思っている。でもそれを口に出すと、相手が別のものを食べたかったとき申し訳ない。自分の希望を言って否定されるのが怖い。あるいは、「パスタがいい」と言えるほどの強い希望でもない気がして、わざわざ主張するほどのことでもないと感じている。 だから「何でもいいよ」と言う。 これは優しさではなく、自分の希望を出すことへの恐れだ。あるいは、自分の希望にはそれほどの価値がないという思い込みだ。 相手に合わせる「優しい自分」の裏側に、「自分の意見を言って嫌われたくない」「自分の選択に自信がない」「私が選んだものなんて大したことない」という気持ちが隠れている。 ここで一つ聞きたい。 あなたが最後に「私はこれがいい」と迷わず言えたのは、いつだろう?
「自分の好き」が分からなくなる仕組み
「何でもいいよ」を続けていると、ある時点で本当に自分の好みが分からなくなる。これは怠けているわけでも、感性が鈍いわけでもない。仕組みとして、そうなるようにできている。 人間の「好き」は、選ぶことで育つ。 コーヒーと紅茶で迷って、「今日はコーヒー」と選ぶ。飲んでみて「やっぱりコーヒーだな」と思う。次にカフェに行ったとき、少し迷いが減る。そうやって「私はコーヒーが好き」という輪郭ができあがる。 でも毎回「どっちでもいいよ」と相手に委ねていたら、この輪郭は育たない。自分の中に「好き」のデータが蓄積されない。だから聞かれたときに出てこない。出てこないから「何でもいい」と言う。言うからまた育たない。 ループしている。 もっと大きな話をすれば、服の選び方、週末の過ごし方、仕事への向き合い方、恋愛で何を大切にしたいか。全部、同じ構造になっている。 「何を着たい?」と聞かれて、ファッション誌の「今年のトレンド」を見る。「どこに行きたい?」と聞かれて、インスタの「みんなが行ってる場所」を検索する。「どういう人がタイプ?」と聞かれて、「優しい人」と答える。 全部、自分の外側にある基準から持ってきている。 「私はこれが好き」ではなく、「みんながいいと言っているもの」。「私はこうしたい」ではなく、「こうしておけば間違いないもの」。 これを続けると、自分の輪郭がどんどんぼやけていく。鏡に映る自分が、なんだか薄い感じがする。見た目の話ではなく、存在として。「私」という人間の線が、細くなっていく。
「正解」を探すのをやめる
ここで、PRIELLEがいちばん大事にしていることを話させてほしい。 自分の基準を作るとき、いちばん邪魔になるのは**「正解を探す癖」**だ。 「このリップ、似合うかな?」という問いの裏には、「他人から見てOKかどうか」が入り込んでいる。「この服、変じゃないかな?」の裏にも、「世間的におかしくないか」が潜んでいる。 私たちはいつの間にか、自分の選択を他人の目で検算する癖がついている。 PRIELLEが提案する基準は、もっとシンプルだ。 鏡の前に立ったとき、自分にときめくかどうか。 そのリップを塗って鏡を見たとき、「いいな」と思えるか。その服を着て玄関を出るとき、「今日の私、悪くないな」と思えるか。 「似合っているかどうか」ではなく、「自分がときめくかどうか」。 この二つは似ているようで、全然違う。 「似合っている」は他人の視線が基準。「ときめく」は自分の身体感覚が基準。 ときめきの正体は、理屈では説明しづらい。なぜこの色が好きなのか、なぜこの形に惹かれるのか、論理的に説明できないことのほうが多い。でも、その「うまく言えないけど好き」を大切にしてほしい。 きっかけはInstagramで見かけた誰かのコーデでもいい。友達が使っていたコスメでもいい。きっかけが外側にあることは問題じゃない。最終チェックが自分の身体感覚であること、それだけが大事だ。 「これ、世間的にはどう思われるだろう」ではなく、「これ、鏡で見た私はときめいているか」。 問いの向きを、外から内に変える。それだけでいい。
「小さな選択」から始める
「自分の基準で選ぶ」と聞くと、大きな決断を想像するかもしれない。転職とか、引っ越しとか、恋愛の決断とか。 でも、いきなりそこから始めなくていい。 むしろ、小さければ小さいほどいい。 コンビニのレジ前。今日のお昼ごはんを選ぶ場面。いつもなら
「カロリーが低いほう」 「値段が安いほう」 「みんなが選びそうなほう」
で決めていたかもしれない。 今日だけ、一つだけ変えてみてほしい。 「どっちが食べたい?」と自分に聞く。 たぶん最初は分からない。「どっちでもいいかな」と思う。それでもいい。5秒だけ、棚の前で立ち止まってみてほしい。おにぎりとサンドイッチを見比べて、ほんの少しでも「こっちかな」という感覚があるかどうか。 なかったら、今日はどっちを選んでもいい。でも明日も同じことをしてみてほしい。 3日目くらいに、かすかに「今日はこっちの気分」というものが見えてくるはず。 それが、あなたの「好き」の芽だ。 ごはんの選び方なんて些細なこと、と思うかもしれない。でもこの些細な選択の積み重ねが、やがて「私はこういうものが好きな人間なんだ」という自分の輪郭を作っていく。 リップの色を選ぶときに。休日の朝に何をするか決めるときに。LINEで「何食べたい?」と聞かれたときに。 全部の場面で、「自分はどう思うか」を5秒だけ確認する。その5秒の積み重ねが、あなたの線を太くしていく。
「何でもいいよ」の裏側にあるもの
最後に、一つだけ付け加えたいことがある。 「何でもいいよ」を手放すのは、わがままになることではない。 「パスタがいいな」と言って、相手が「今日はラーメンの気分なんだけど」と返してきたら、「じゃあラーメンにしよう」でいい。大事なのは最終的にどちらを食べるかではなく、自分の希望を一度テーブルに出すことだ。 出した上で譲るのと、最初から出さないのとでは、まったく意味が違う。 前者は「私の希望はパスタ。でも今日はあなたに合わせるね」。ここには「私」がいる。 後者は「私の希望はありません」。ここには「私」がいない。 あなたがテーブルに自分の希望を出せるようになったとき、何が起きるか。 相手は「この人はパスタが好きなんだな」と知る。次にご飯に行くとき、「パスタ好きだったよね?いい店見つけたよ」と言ってくれるかもしれない。あなたの「好き」が相手に伝わり、相手がそれを覚えてくれる。 これが、PRIELLEが描く「大切にされる」の始まりだ。 あなたがあなたの輪郭を持っていないと、相手はあなたを大切にしようがない。「何でもいいよ」の人を大切にする方法は、誰にも分からない。あなたの「好き」があって初めて、相手はそれを大事にすることができる。
✦ ✦ ✦ 「何でもいいよ」は、今日からゼロにしなくていい。 まずは一日一回だけ、「私はこっちがいい」を口に出してみる。コンビニのレジでも、ランチの相談でも、Netflixで何を見るかでも。 声に出すのが恥ずかしかったら、心の中で確認するだけでもいい。「私は今、本当は何がしたいんだろう」と、自分に聞いてみる。 答えがすぐに出なくてもいい。「分からない」も一つの答えだ。大事なのは、自分に問いかけることをやめないこと。 問いかけ続けた先に、少しずつ、自分の線が見えてくる。「私はこういうものが好きで、こういうことがしたくて、こういう人間だ」という輪郭が。 ぼやけていた自分が、少しずつはっきりしてくる。 その輪郭こそが、あなただけのもの。誰とも比べなくていいし、誰に認めてもらう必要もない。 自分の輪郭を、自分で描き始めること。 それがPRIELLEの言う「自分基準」の第一歩です。