初デートの帰り道、「楽しかったです」と送ったあとの虚しさについて
初デート。
お店は相手が選んでくれた。イタリアンだった。本当はあまりパスタの気分じゃなかったけど、「ここでいいですか?」と聞かれて「はい、嬉しいです!」と答えた。
席についてメニューを見る。「何にする?」と聞かれる。相手が何を頼むか確認してから、同じくらいの価格帯のものを選ぶ。本当はピザが食べたかったけど、手で食べるのは汚く見えるかもしれないから、ペンネにした。
会話は途切れなかった。相手の話に「そうなんですね」「すごいですね」と相づちを打ち続けた。自分の話もした。でも、どこまで言っていいか分からなくて、無難なことばかり選んだ。趣味は? と聞かれて「映画が好きです」と答えた。本当はホラー映画が好きだけど、引かれるかもしれないから言わなかった。
二時間が過ぎた。楽しかった。楽しかったはずだ。
店を出て、駅まで歩いて、「今日はありがとうございました」「楽しかったです」とLINEを送った。
相手からも「こちらこそ!また行きましょう」と返ってきた。
スマホを閉じる。電車に乗る。窓に映った自分の顔を見る。
あの二時間で、私はいったい何を見せたんだろう。
楽しかったはずなのに、胸の中に妙な虚しさがある。この虚しさの正体が分からない。
「嫌われないデート」をしていないか
あの二時間を振り返ってみる。
お店は相手に任せた。メニューは無難なものを選んだ。会話では当たり障りのないことだけ話した。趣味の深い部分は隠した。自分の意見はあまり言わなかった。相手の話にはしっかりリアクションした。
減点されそうなことは一つもしていない。失礼なこともしていない。変なことも言っていない。完璧に「感じのいい人」を演じきった。
そう。演じきった。
あのデートは、「好かれるため」のデートではなく、「嫌われないため」のデートだった。
好かれるためなら、自分の魅力を出す必要がある。でも嫌われないためなら、何も出さないほうが安全だ。何も出さなければ、否定されるものがない。
だから、あなたは何も出さなかった。
帰り道の虚しさはそこから来ている。二時間かけて、あなたは相手に何も渡していない。相手もあなたの何も受け取っていない。二人の間を行き来したのは、当たり障りのない情報と礼儀正しいリアクションだけだ。
「楽しかったです」は嘘ではない。でも、本当の意味での接点は生まれていない。
沈黙が怖い人は、沈黙の意味を誤解している
初デートで多くの人が恐れるもの。沈黙だ。
会話が途切れる。
数秒の空白。
何か話さなきゃ。
何でもいいから話題を出さなきゃ。
焦って天気の話をする。
食べ物の話をする。仕事の話をする。
とにかく沈黙を埋める 。
でも、沈黙は本当に「まずいこと」だろうか。
あなたの親しい友達を思い浮かべてほしい。一緒にカフェにいるとき、会話が途切れる瞬間がある。でも気まずくない。お互いにコーヒーを飲んで、窓の外を見て、またぽつりと話し始める。
この沈黙は心地いい。なぜなら、沈黙の中にも「一緒にいる」という安心感があるからだ。
初デートの沈黙が怖いのは、沈黙が「退屈だと思われている証拠」に見えてしまうからだ。
会話が止まった=つまらないと思われた=嫌われる。この等式が自動的に発動する。
でも、相手も同じように「何か話さなきゃ」と思っているかもしれない。二人とも沈黙を恐れて、中身のない会話を量産し続ける。会話の量は多いのに、終わったあとに何を話したか思い出せない。
沈黙を埋めることに必死なデートより、一つの話題をゆっくり深く話せるデートのほうが、記憶に残る。
「この映画が好きなんです」
「どこが好きなの?」
「うーん……」
と少し考える沈黙。これは悪い沈黙ではない。あなたが自分の言葉を探している時間だ。相手はその時間を待ってくれるかもしれない。待ってくれたなら、その人は悪くない人だ。
沈黙は敵ではない。沈黙にどう反応するかが、相性を見るチャンスだ。
「相手に合わせる」は優しさではなく、逃避だ
初デートで相手に合わせることを、多くの人は「気遣い」だと思っている。
お店は相手に任せる。相手の好きな話題に乗る。相手の意見に同意する。相手が笑えば笑う。相手のペースに合わせて歩く。
一つ一つは確かに気遣いに見える。でも、すべてを相手に合わせている場合、それは気遣いではなく、自分を出すことからの逃避だ。
相手に合わせていれば、自分の好みを否定されるリスクがない。自分の意見を「変だ」と思われるリスクがない。自分の選択がハズレだったときの責任もない。
安全だ。でも、安全な場所からは何も始まらない。
相手は、あなたに会いに来ている。あなたの好みを知りたくて、あなたの話を聞きたくて、あなたという人間を知りたくて、二時間を使っている。
なのに、あなたが「当たり障りのない誰か」を演じていたら、相手は二時間を使ってあなた以外の誰かと過ごしたことになる。
「合わせてくれる人」は確かに楽だ。でも、ずっと合わせてくれるだけの人に、もう一度会いたいと思うだろうか。
印象に残るのは、合わせてくれた人ではない。自分の輪郭を見せてくれた人だ。
二回目のデートに繋がらない本当の理由
「楽しかったです」と送ったのに、二回目がない。
この経験をした人は多いと思う。何がいけなかったのか、一人で反省会を開く。服装が悪かったのか。会話がつまらなかったのか。顔が好みじゃなかったのか。
でも、振り返るべきポイントはもっと別のところにあるかもしれない。
相手に「もう一度会いたい」と思わせる引っかかりを、あなたは残せていただろうか。
完璧に感じのいいデートは、印象に残らない。減点がないことと、加点があることは、まったく違う。
「あの子、ホラー映画好きって言ってたの意外だったな」
「あの子、ピザを手で豪快に食べてたの楽しかったな」
「あの子、急に真面目な顔で『私それ嫌いなんですよね』って言ったの面白かったな」
引っかかりは、あなたの個性が漏れた瞬間に生まれる。コントロールを外れたところに、人の魅力はある。
完璧に当たり障りなく過ごした二時間より、一瞬だけ素が出た二時間のほうが、「もう一回会ってみたいな」と思わせる力がある。
「また会いたい」は、完璧だったから生まれるのではない
ここで、大事なことを言っておきたい。
「また会いたい」と思うとき、人は相手の完璧さに惹かれているのではない。
「この人のこと、まだ分からない部分がある」
この感覚が、「また会いたい」を生む。
初デートで相手のすべてが分かったら、二回目の必要がない。分からないから、もっと知りたいと思う。もっと知りたいから、また会いたいと思う。
当たり障りのないプロフィール通りの人は、一回で「分かった」になりやすい。でも、ふいに見せた本音や、予想外の好みや、ちょっとした矛盾がある人は、「まだ何かありそう」と思わせる。
つまり、不完全さや予想外の要素こそが、二回目への扉を開く。
あなたが隠した「ホラー映画が好き」は、言っていたら引っかかりになっていたかもしれない。あなたが我慢した「ピザが食べたい」は、「いいね、ピザにしよう」で距離が縮まったかもしれない。
隠せば隠すほど、安全になる代わりに、印象から消えていく。
デートは面接ではなく、実験だ
PRIELLEが提案したいのは、デートに対する見方の転換だ。
多くの人がデートを「面接」のように捉えている。合格か不合格か。受かるか落ちるか。だから緊張するし、完璧を目指すし、自分を飾る。
でもデートは面接ではない。実験だ。
「この人と私は、同じ空間にいて心地いいだろうか」を確かめる実験。
実験だから、結果はやってみないと分からない。合わなかったら、それは失敗ではなく「合わないと分かった」というデータだ。合っていたら、それは「もう少し試してみたい」という手応えだ。
面接なら、落ちたら自分に価値がないことになる。でも実験なら、結果が望み通りでなくても、自分の価値とは関係がない。ただ条件が合わなかっただけだ。
この見方を持つだけで、デートの緊張はずいぶん違うものになる。
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次にデートの予定が入ったとき。
一つだけ、実験してみてほしい。
デート中に、一つだけ本音を出す。
「実は私、ホラー映画めちゃくちゃ好きなんです」でもいい。「ここのメニューだったら私はピザがいいです」でもいい。「実は犬派より猫派です」でもいい。何でもいい。
たった一つ。自分の中の「言ったら引かれるかも」を超えて、本音を出す。
相手がそれを面白がってくれたら、次に繋がる可能性がある。引いたなら、その人とは合わなかっただけだ。
どちらにしても、あなたは「自分を出す」という実験をしたことになる。
帰り道、LINEで「楽しかったです」と送るとき。
今度は、その言葉の裏に虚しさがないことを願っている。
デートは「感じのいい私」を見せる場ではない。 「本当の私の一部」を見せて、それでも居心地がいいかを確かめる場だ。