「何もない私」がいつの間にか消えていた
「私って何もないな」
この言葉を最後に思ったのは、いつだっただろう。
以前は、夜中にふと浮かんでくる常連の言葉だった。
特別に美人でもない。
仕事で突出した成果もない。
面白い人間でもない。
誰かに自慢できるような趣味もない。
「何もない」が、自分を表す最も正確な言葉だと思っていた。
でも最近、この言葉が出てこない。
消そうとしたわけではない。「何もない」を「何かある」に書き換えようとしたわけでもない。ただ、いつの間にか、出番がなくなっていた。
✦ ✦ ✦
何が変わったのだろう。振り返ってみる。
特別な何かが加わったわけではない。
資格を取ったわけでも、転職したわけでも、劇的に見た目が変わったわけでもない。
変わったのは、日々の小さなことだけだ。
朝、鏡に「おはよう」と言うようになった。
お気に入りのリップを一本決めた。
ベッドを整えるようになった。
爪を手入れするようになった。
ハンカチを持ち歩くようになった。
寝る前に「よくやったね」と自分に言うようになった。
どれも取るに足らないこと。履歴書には書けない。誰かに自慢するようなことでもない。
でもこの全部が、「自分はどうでもいい存在だ」という信念を、一つずつ、静かに崩していた。
✦ ✦ ✦
「何もない」の正体は、「何もしていない」ではなかった。
「自分に何もしてあげていない」だった。
以前の自分は、自分を雑に扱っていた。
食事は適当。身なりは最低限。
自分の時間は後回し。自分の「好き」は無視。
——その扱い方が、「何もない私」という自己認識を強化し続けていた。
自分を雑に扱っている人は、「自分には雑に扱う程度の価値しかない」と無意識に学習する。そして「何もない」と結論づける。
逆に、自分を丁寧に扱い始めると、「この人には丁寧にする価値がある」と自分自身が学習し直す。「何もない」が居場所を失っていく。
特別な何かを足さなくていい。自分への扱い方を変えるだけで、「何もない」は少しずつ消えていく。
✦ ✦ ✦
もし今、まだ「私って何もないな」と思っているなら、一つだけ伝えたいことがある。
その言葉は、事実ではない。
あなたが何もないのではない。あなたが自分に何もしてあげていないだけだ。
今日、一つだけ自分のためにしてみてほしい。
何でもいい。コーヒーを丁寧に淹れるでもいい。爪を整えるでもいい。好きな曲を一曲聴くでもいい。
その一つが、「何もない」に小さなヒビを入れてくれる。
ヒビが増えるたびに、光が差し込んでくる。その光の中に見えるのは、「何もない私」ではなく、小さな「好き」や「できた」で構成された、思っていたより豊かな自分だ。
——「何もない」が消えたあとに残るのは、「何かすごいもの」ではない。「ちゃんと生きている自分」だ。それで十分だと思える日が、きっと来る。
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