電車で席を譲った人が、その日いちばん美しかった
火曜日の帰りの電車で
夜の七時すぎ。仕事帰りの電車は混んでいて、あなたはドアの近くに立っている。スマホを見る気力もない、そんな日だった。
二駅目で、杖をついた年配の人が乗ってきた。席に座っていた女性が立ち上がる。「どうぞ」でも「よかったら」でもなく、ただすっと立って、少し場所を空けて、視線で促した。年配の人が座る。女性は何事もなかったようにつり革を持ち、窓の外を見た。
そのとき、あなたは思った。きれいな人だな、と。
家に帰ってから気づく。あの人の顔を、ほとんど覚えていない。
「きれい」と感じたのに、顔を覚えていない
おかしな話だ。あなたは確かに「きれいな人だ」と思った。なのに、目が大きかったか、肌がきれいだったか、何ひとつ思い出せない。覚えているのは、立ち上がり方と、何事もなかったような横顔の角度と、その場の空気だけ。
つまりあなたが「きれい」と感じたものは、最初から顔ではなかった。
私たちは「美しさは外見のことだ」と信じて生きている。雑誌もSNSも広告も、美しさを顔とスタイルの話として扱う。だからあなたも、自分の美しさを考えるときは鏡の前に立つ。目の大きさ、肌の調子、輪郭。採点はいつも顔から始まる。
でも、あなたの身体は違うものに反応していた。
あなたの記憶を、辿ってみてほしい
これまでの人生で「この人、美しいな」と思った瞬間を、いくつか思い出してみてほしい。芸能人ではなく、すれ違った人、職場の人、友達でいい。
おそらく、そこに並ぶのは顔のアップではない。
誰かに道を教えていた人の声。
落とし物を拾って走った人の背中。
会議で静かに、でもはっきり意見を言った先輩の佇まい。
怒っていい場面で、深呼吸をひとつしてから話し始めた人。
記憶の中の「美しい人」は、ほとんどが何かをしている瞬間の人だ。止まった顔ではなく、動いている空気。あなたの身体は、ずっと前からそれを美しさとして記録してきた。
採点表と、身体の反応は別のところにある
ここに、奇妙なねじれがある。
他人の美しさを感じ取るとき、あなたは空気を見ている。なのに自分の美しさを測るときだけ、顔のパーツの採点表を持ち出す。他人には使っていない基準を、自分にだけ厳しく適用している。
あの電車の女性は、おそらく特別な美人ではなかった。少なくとも、あなたはそれを確認していない。確認する必要がなかった。美しさはもう、立ち上がるその動きの中に全部あったから。
だとしたら、あなたが毎朝鏡の前でやっている採点は、美しさのほんの一部分しか測っていないことになる。いちばん肝心な部分——あなたがどんなふうに立ち、どんなふうに人と居て、どんな空気を纏っているか——は、その採点表に載っていない。
✦ ✦ ✦
今日、ひとつだけ覚えておいてほしい
このシリーズで、美しさの話を少しずつしていきたいと思う。「こうすれば美しくなれる」という話は一度もしない。する必要がない。あなたの中には、もう美しさを見分ける目がある。電車の中で、ちゃんと反応していたあの目だ。
あなたはすでに、顔ではない美しさを知っている。知らないのは、その目を自分に向けることだけだ。
今日か明日、誰かを「いいな」「きれいだな」と感じる瞬間がきっとある。そのとき、ひとつだけ確認してみてほしい。
——いま私が見たのは、顔だっただろうか。
それだけでいい。メモも反省もいらない。その小さな確認が、美しさの定義が変わり始める最初の一歩になる。
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